走るうつ病療法士

2020年にうつ病の診断を受けました。本来はうつ病も支援する作業療法士。浮き沈みしながら暮らしてます。たくさん走ります。2匹の犬と暮らしてます。

自己紹介②走ることについて

前回の自己紹介であまり触れませんでしたが、「趣味」というか、それを少し超える「競技」のレベルでマラソンに取り組んでおります。

もともと高校生からは部活にも所属せず、大学4年間もだらだらとポテチを食べながら美少女ゲームに勤しんでいた私ですが、とあるきっかけで社会人3年目から走り始め、なかなか本格的に取り組むようになっています。

今回は自己紹介の一部として、自分と走ることについて書かせて頂きたいと思います。

 

〇自己記録

・5000m(トラック):15分20秒

・10km(ロード):32分04秒

ハーフマラソン:1時間9分51秒

・フルマラソン:2時間28分55秒

・100km:7時間26分

 

〇走り始めたきっかけ

上記の通り、高校生では部活をやらずにゲーセン通いと自宅で美少女ゲーム三昧。

大学進学後も大きく変わらず、運動はせず授業を終えて家に帰れば深夜まで美少女ゲーム、夜の10時にファミレスの深夜バイトに繰り出す、そんな日々でした。

当時は『AIR』、『CLANNAD』『TO HEART2』など美少女ゲームが活発な時代…愛するヒロインが悲劇の結末を迎えては、顔を腫らしてバイトに行き無気力にパスタを茹でていました。

社会人になっても仕事をする以外は大きく変わらず、むしろそこに酒というスパイスまで加わり、不健康生活は加速しました。そして勤続3年目の健康診断。なんと24歳の若さにして高血圧・高脂血症・高コレステロールの三冠を達成。メタボ界の大型ルーキー登場に、医師は熱烈オファーではなく早急な運動療法を処方しました。

病院でのリハビリ職勤務であったため、身近には健康マッチョ人間が多数おりました。奴らは油断するとすぐに、にやけ顔で上腕二頭筋を膨らませながら「俺が運動療法してやろうか笑」と迫ってきます。

こいつらの世話にだけは絶対にならん!自分で何とかする!そう決意した私は自己流の運動を開始。最初に手を付けたのはなぜか野球の素振りでした。腹筋に利くと思ったのでしょう。筋肉のバランスを保つため、律義に左右両打席でスイングを続けました。しかし、この先野球をする予定もないのに続ける素振りはただただ虚しく、数日で終了しました…

結局シンプルに走るのが一番いいだろう…と家の周り500m程のジョギングを通勤前の早朝に開始。結果的にこれが効果的で、私は運動にのめりこみ、脱メタボ、脱不名誉な最年少三冠王のきっかけを掴むのでした。

 

〇走ることが続いた理由

走ることが続けられたのは、野球の素振りと違ってすぐにその成果が得られたことです。そもそも野球する予定のない人間の素振りに、どのような成果があるというのか…

初めはランニングのノウハウなどなく、高校時代の体操服のジャージに、同じく高校時代の通学に使っていたアディダスのスタンスミスを引っ張り出し、自宅の周り500mくらいを2周くらい回っていました。あっという間に息は切れ、脇腹は痛み、お腹の重みで腰が重く、初めのうちは苦行でしかありませんでした。

しかし、それを週2回程続けていると、徐々に腰の重みが減り、日常生活も楽に…それだけで私の心はとてもハッピーでした。その後も徐々に距離を伸ばし、アプリでタイムを計測するようになり、徐々に速く・遠くへ行けるようになることが嬉しく、それが運動を続けるきっかけになりました。

 

〇走ってよかったこと

①自分の脚で遠くにいける

 走り始めて良かったと思うことの第一は、自分の脚で遠くに行けること。それこそ10kmくらい、力がついてくれば20kmくらいが、「走っていけるんじゃないか!?」と思える距離になっていきます。するとGoogle Mapで地図を開き、今までは時間をかけて電車で行く事を躊躇していた有名なラーメン屋や観光地にも、自宅から頑張れば走っていけるのでは!?と考えるようになり、それを実行することが休日の楽しみになりました。

100kmくらいまで走れるようになった現在では、道路の青看板の“〇〇市90km”の表示を見ると、10時間走ればつけるかな…とか思えるようになっています。実際に、千葉の自宅から宇都宮まで100km走って餃子を食べて帰ったり、仕事終わりに小田原まで赴き3日かけて国道一号を名古屋まで走ったり、トリッキーな遊戯を楽しめています!

90kmも走ってイケる距離に!!

 

②話題として

 上記に加えて、このような活動が人との話題になることが自分にとっては貴重でした。

 リハビリの仕事をしており高齢の方とお話をすることが多いのですが、美少女ゲームは共通の話題には当然向きません…そのような中で、「休日に〇〇まで走って××食べてきました!」という話は、たくさんの高齢者の方にも楽しんでもらえているように思います。駅伝やマラソンの中継が涼しい季節の風物詩であるこの国の文化もあって、走るのが好きということは共感も得やすいのではないかと感じます。

 時には、「そこまで行けるなら、昔行ったおいしいお店があるよ!」なども教えてもらい、休日に走ってその報告をするなど、自分にとっても良い循環を生んでいます。

③交流

 走ることを続けていると、趣味を通じて参加できるコミュニティーも増えていきます。それまで職場や学生時代に限定されていた自分の人間関係が、走ることで共通の目的を持った幅広い年代・職種の人との交流が増えることも貴重な経験でした。

 現在もクラブチームに所属していますが、自分の元々の生活では関わることのなかったお仕事や活動に取り組まれている人と関わることができて、自分の生活が豊かになっていくように感じます。

 

そんなこんなで、気づけば10年以上走ることは生活の一部となり継続されています。

走ることそのもの、趣味を通して築くことができた人間関係は、結果的にうつ病になった後の自分を支えることにもなってくれました。

 

長々なりましたが、自分にとって重要な走ることについてお話しさせて頂きました。

時々、走ることに関わることも投稿しながら、ゆるやかにブログを続けていきたいと思っています。

よろしければ今後もお付き合い頂ければ幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。