走るうつ病療法士

2020年にうつ病の診断を受けました。本来はうつ病も支援する作業療法士。浮き沈みしながら暮らしてます。たくさん走ります。2匹の犬と暮らしてます。

走ること振り返り 走り始めから初めてのフルマラソン

 自己紹介②で、自分の持っている記録や走り始めた経緯などお話させて頂きました。

 

alcoholic-pug-to-frebull.hatenablog.com

ただ、このとき書いた記録はうつ病になる2020年以前の記録です。

 2020年の夏にうつ病を発症し、半年間休職。2021年春には大会への参加も再開していますが、発症前の記録は発症から2年が経つ今でも更新できておらず、それどころか「別の人間が走ってたんじゃないかな…」と思う次元です。

 今回は、過去の節目の大会や記録を振り返りつつ、うつ病での転換とこれからの目標を書いていきたいと思います。

 

1.初めての大会まで

 ランニングは社会人3年目、25歳からダイエットを目的に始めました。中学校で卓球部に所属していた以降はずっと帰宅部ゲーセン通いの美少女ゲーマーで、運動とは無縁の生活でした。

 まずは自宅周囲の住宅地の一区画500m程をグルグル回ることから始めました。初めのうちは2周で1km程度、週2、3回くらいをユルユルと続けていました。少しずつ距離を伸ばして半年ほどで7kmくらい走れるようになり、職場のランナー先輩の勧めで、大会に出てみることを決意しました。この時は大会のことなど何も知らず、走る大会はフルマラソンとその半分のハーフマラソンというものがあるらしい…くらいしか把握していなかったため、ハーフマラソンに出ることにしました。10kmとか他に選択肢があっただろう、と今では思います。

 

2.初めての大会 ハーフマラソン

 この時ランニングを始めて約半年。初めて出場した大会は皇居を4周周回する、出場者100人前後くらいのハーフマラソンでした。上記の通り、マラソンの大会の基礎知識がなく、大会の規模の違いとか、公認なのかそうでないかとか、いつからエントリーすれば良いかなど、全く知りませんでした。とにかく大会に出ると決心したからには一刻も早く出場したい!と時期が近く気軽にアクセスできる大会を選びました。

 買ったばかりのキレイなランニングシューズ(初めて購入したのはAdizero MANA!懐かしい!)と柏レイソルのユニフォームに身を包んだ私は素人同然で、周囲のランシャツ・ランパン、使い古されたシューズを履いた方々がみんなめちゃめちゃ速そうに見えて怖くなり、最後尾からスタートしました。

 結果、この大会は1時間26分でゴール(当然非公認記録)。最後尾から70人くらい追い抜いてゴールできたことは心地よく、ずっと一人で家の周りをグルグル走っていたのは、孤独な地下世界でかなり鍛えられていたのでは!?と少し調子に乗ったのを覚えています。

 

3.初フルマラソン 勝田全国マラソン

 練習で7kmしか走れてなかったのに、本番でハーフマラソンを走れたなら、経験した2倍くらいの距離は本番で走れるということだな…そのような甘い考えから、すぐにフルマラソンの出場を決意しました。

 初マラソンはハーフから3カ月後の勝田全国マラソン。前回の100人規模の大会から、この大会は10,000人超!まずは人の多さにびっくりでした。

 公式記録を持っておらず、相変わらず周囲が超人にしか見えない私は相変わらず最後尾近くからスタート。この時、まさかスタートラインに到達するのに10分以上かかるとは知りませんでした…

 そして結果はグロスで3時間40分、ネットで3時間29分。これが良いのか悪いのか、当時はよくわかっていませんでしたが、10,000人程の出場者の中で900位近くになっており、なかなかやるじゃん!!と内心ガッツポーズだったと思います。

 この時走り始めて9ヵ月程、体重はあの健康診断から8kg程軽くなっていました。

 

4.しばらくマラソンをしない男

 初マラソンを完走し、ややシュッとした私でしたが、さらに記録を伸ばすぜ!!とは全くなりませんでした。大きな目標を終えた燃えつき、そして勝田で多くの速いランナーさんの走りを目の当たりにして、“あんなの自分の全力疾走より速いじゃん!ムリ!!”と、記録を伸ばすことへのモチベーションを高めることができなかったのでした。

 ここで次の目標として、前回ハーフマラソン完走後にも登場した『倍は走れる理論』で、42kmの2倍、84km…四捨五入して100km…!100kmのウルトラマラソンへの出走を決めました。相変わらず決心すると早く実行しないと気が済まない質で、同年6月の岩手銀河ウルトラマラソンにエントリー、出走しました。

宮沢賢治のファンなので、岩手に行きたかったのもある…

 走り始めて1年ちょっとでの100km挑戦、結果は9時間30分くらいでした。無理をし過ぎて翌日歩けなくなり、整形外科を受診したら脛骨(スネの骨)の疲労骨折と診断されました…。しかし100kmという距離を走り切れた達成感は大きく、100km走った!というエピソードが話題にできる、驚いてもらえる。もともとゲーマーで幅広い年代や異性との会話が超苦手だったため、人に誇れる、話しやすい話題を持てただけで生活の難易度がククッとやりやすくなるのでした。これに味を占めた私は、その後も速く走ることより、より難しそうなレースを走ることに楽しみを感じ、結局2年ほどは42kmのマラソンを走らず、ウルトラやトレイルレースにばかり挑戦するようになっていました。

 

 書きたいことが多くなりすぎてしまったため、いったんここで区切りたいと思います。書いて振り返りながら、この頃は走ること、どんどん遠くへ行けるようになることが楽しくて仕方なかったんだなーとしみじみ…

 この後も順調に記録を伸ばすことができ、市民ランナーの憧れである福岡国際マラソンへの出走まで果たすことができましたが、その後の転職とうつ病で一気に暗転します…

 また次回以降、振り返っていきたいと思います。

 

 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!