うつ病の「寛解」とか「完治」とか…実現できるの??
うつ病が「寛解」したとか、「完治」したとか…実に甘美な響きです。
私は2年前の発症後、半年を超える休職を経て現在の職場に転職、初めの半年ほどは時短勤務にしてもらっていましたが、以降は常勤に変更し、現在でも仕事を続けられています。
ただ、定期的に、具体的には2,3カ月おきに、再燃したように急な不安感や身体の重さに見舞われて、その時には3,4日程仕事を休んで寝込んでしまいます。
長期で働けているだけでもありがたいのですが、このような状態に悩まされることのない、「完治」という状態への憧れは、なくなってはくれません。
ただ、症状が目に見えにくいこの病気において「完治」、「寛解」とは具体的にどのような状態なのか、ちょっと整理してみたいと思い書いていきます。
〇「反応」→「寛解」→「回復」の順にレベルアップする
・反応:治療によって症状が改善(50%以上)したこと
・寛解:症状がほとんどなくなった状態
・回復:寛解の状態が2ヶ月以上続いた状態
この三段階でうつ病からの回復は進むということです。2カ月以上症状がほとんどない状態が続いたということは、時と場合によっては私は「回復」している??
ただ、50%の症状の改善とは、何とも曖昧です。不安や焦燥感なんて、病気であってもなくても体験するものだし、その辛さを一定の指標にするのは難しいですが、おおよその感覚で捉えるしかないのでしょう。
あと、常に再発や再燃は隣り合わせにある様で、なんとも悲しい…
〇注意して保っている状態は「寛解」と呼んでいいのかな?
上記の様に、私は何とか仕事をしながら2,3カ月に一度まとまって休むような状態で維持しています。とりあえず仕事ができる状態で1カ月以上は過ごせることも増えていますが、その間必ずしも普通に過ごしているわけでもありません。
抗うつ薬や抗不安薬の服薬は継続していますし、不眠の気配があれば頓用の睡眠薬を使用します。仕事で疲れが溜まってくる感覚に敏感になり、その時には早めに休んだり、ストレス管理のために日記をつけたり、座禅を組んだり…対策は色々学びながら続けています。
つまり、自分はいつも再燃することへの一定の不安を抱えながら過ごしているので、例え症状はなくても、従来過ごしてきた「普通」とは言い難いのです。
〇「完治」や「普通」が手に入らなくても…
例えば今後、順調に行って薬を減らしたり、手放すことができたとしても、再燃への不安と、そのための対策はおそらく続けていくと思います。
じゃ、この付き合っている状態が「完治」とも「回復」とも呼べないとしたら、希望がないように思うかもしれません。実際自分も体調を崩すたびにウンザリしています…
が、この経験を通して、それこそ座禅を勉強したり、日記を通して認知行動療法などを学んだり…少しは自分の人生の肥やしになっているし、仕事にも役立てられる場面が少なからずあったりします。
また、以前はメンタルにトラブルを抱えてしまった人の気持ちがあまり理解できない人間でしたが、現在は多少は理解できるようになっています。
もちろん、その苦しさは人それぞれなので、無責任に完全な共感などできませんが…
当然ながら、具合が悪くなることに何の不安もなく過ごすことができたら最高です。
しかし、不安などなさそうにあっけらかんと生きている人を見たとき、うらやましい反面、「自分はもっと慎重にいよう…」とか思うあたり、不安と一緒に過ごす自分も嫌いではないと思っているのだと思うで、そんな自分と上手に付き合って行くことが、「完治」には到底至らないけど、一種の回復なのではないかと考えたりもしています。
何とも的を得ない話となってしまいました。
うつ病完治の劇的な方法を求めてここを訪れた方、申し訳ありません…
ただ、少しでも似たように感じてもらえる人がいたら嬉しい限りです。
今回も読んでいただき、ありがとうございました!