走るうつ病療法士

2020年にうつ病の診断を受けました。本来はうつ病も支援する作業療法士。浮き沈みしながら暮らしてます。たくさん走ります。2匹の犬と暮らしてます。

うつ病、周囲の対応 『励まさない』は絶対なのか

 一般向けの情報でも専門書でも、身内がうつ病になった時の対応として、真っ先に記載されえているのが、「安易な励ましをしない」ということです。

 私自身、作業療法士という心の病気を持った人のリハビリもするお仕事をしていますが、国家試験にも必発問題となっていた程、この世界では常識とされる事柄でした。

 

 今まではぽけーっと、「なるほど。確かに頑張ってる人に簡単に頑張れとか言ったらいけんもんな…」程度に考えていました。しかし、当事者サイドになってみると、当たってもいるし、でもそれ絶対なのか??と多少疑問に感じる部分もあります。

 今回はそんなことを書いてみたいと思います。

 

〇安易な励ましは辛いけど、放って置かれるのも辛いというか、世間との距離を感じる

 確かに、安易に「大丈夫、頑張れば何とかなるよ。Fight!!」なんて笑顔で言われた日には、泣きながらローキックを喰らわせたくなります。

 一方、いつまでも「ゆっくり休んでね」と言われ続けるのも、どこかで辛くなってきます。もちろん十分に気を遣っていただいているか、扱いに困っていることは重々承知の上で…。

 ただ、周囲の人や社会が目まぐるしく動いて成長している中で、自分だけ布団で眠り続けているのは、立ち止まっているどころかどんどん後退していっているように感じるのです。

 

〇励まされた『励まし』と、心をへし折られた『励まし』

 放置されるのは嫌だけど、簡単に「大丈夫!」とか、「ファイティン!!」は確かに辛い…。

 そんな中で、私には何より妻の存在が大きかったです。

 同じような医療系の仕事をしている妻は、この「励まさない」という法則ももちろん知っているため、休職中で寝てばかりの私に対し、無理なことは言いませんでしたが、放置することもありませんでした。

 ずっと寝ている私に、「今日は天気がいいから少し散歩したら?犬を10分だけ歩かせて来てよ。」など、無理強いをするわけではないけど、停滞している私が1歩ないし0.5歩くらいは前進しそうな行動を示してくれました。

 寝っぱなしの私に、ブロックやプラモデルなどのちょっとした活動を一緒に見つけてくれたのも妻でした。そして、できた後には、「今日はずいぶん起きられてるね。」など、成果を確認する様な声をかけてくれていたように思います。

 このように、うつ病の人の現在位置を知ってくれること、いきなり元に戻そうとするのではなく、ほんのちょっとの前進を促してくれる『励まし』は、力になったと感じています。

 

 もう一つ、とても元気づけられたのは、休職し始めてから5ヵ月程経った頃、大学時代からの友人と食事をした時です。

 元々大学卒業後からも10年近く、月に1回程は定期的に酒を飲みに行っていた友人で、病気のことを伝えたまま、しばらく会っていない状態が続いていました。

 久々に再開し、病気になった経緯、自殺まで考えてしまっていたことなど話しました。ひとしきり話を聞いてくれた後、「死なないでくれて良かったよ。お前と会えなくなったら悲しいもん。」と言ってくれました。嬉しすぎて泣きました。お礼の言葉と、リハビリのために塗った阿修羅像の塗り絵を彼に送りました。

いきなり阿修羅を渡されても困るだろうけど、最大限の感謝

 

 一方、心をへし折られた『励まし』も確かに存在しました。

 休職も半年程経った頃、ちょっとした地元の同窓会に参加しました。当然近況の話になるので、私は恥ずかしながら休職中であることを話すと、当然なんでそうなったのかなど詳しく聞かれます。

 上司とうまくやれなかったこと、仕事が終わらず寝る時間もなかったこと、死にたくなるくらい悩んだあげく、体が動かなくなったことなど…

 ひとしきり話した後、一人が「俺にも辛い時期があったよ。寝ずに働くことなんてしょっちゅうだよ。上司の攻撃なんて無視すればいいんだよ。昔のお前ならそんなの平気だったじゃん。」etc…

 わかってます。他人の苦労話ほど聞いてて面白くないことはないのです。男は自分が誰よりも苦労していると思いたい生き物なのです…

 もう泣きたいし、でも泣くのもみっともないので、いじけた子供のように突然黙って帰宅しました。多分あの同窓会にはもう呼ばれないでしょう…

 

〇どんな言葉がほしいのか

 私が励まされた言葉に共通しているのは、現状の、そして私という存在そのものを肯定してもらえたことだと感じます。

 今は病気のためにその状況にある、ということを知ってもらって、ほんのわずか前進するための助言や励ましは、とても勇気づけられます。

 そして、病気とか仕事ができるかとか関係なく、貴方がいて良かったと言ってもらえることは、そういう環境とか背景と関係なしに、自分がそこにいていいんだ、という安心と希望に繋がりました。

 

 一方、叩きおられた言葉は、現状ではない過去とか、他人との比較で、もっとこうすれば良かった、というものでした。

 

 私は、自分が発症した当時の状況にあって、もしこの助言のような行動をできていたとしても、やっぱり自分は同じ病気になると思っています。私が持っている思考回路はそう簡単には変えられないし、考え抜いた行動の結果として、病気になったのです。だから、その行動を変える『もしこうしていたら…』をいくら提示されても、それは私という存在への否定にすら感じてしまうのです…

 

〇じゃあ、どんな『励まし』ならいいの??

 長くなってしまいましたが、もしどん底だった私が励まされるとしたら、

・私の(うつ病になっちゃった人の)現状、現在地を知ってくれること

・過去や病気ではなく、その人の存在そのものを肯定してくれること

 どれも誰にでも言われれば嬉しいわけではありません。しかし多分、うつ病になった人がその環境を打ち明けるくらいだから、こんな話を聞く立場にある人は、その人にとって大切な存在であるはずです。

 なので、その人がその状況に置かれた背景を知って、でもそんな病気や状況に関係なく、その人が大切だと伝えてあげてほしいと思います。

 

 そんな繊細なやり取り誰にでもできるかい!!ということで、使い方を誤って深く傷つけないための安全策として、どの本にも『励まさない』って書いてあるんじゃないかと思います。

 

 身近で大切な人が、もしうつ病なんかに悩まされた時、少しそんな気持ちで話を聞いて、0.5歩くらいの前進を手助けしてもらえたら、嬉しいなと思います。

 

 長文お付き合いいただき、ありがとうございました!!